生きてるだけで偉いよって言ってくれる人がいて、死んじゃだめだよって言ってくれる人がいるからわたしも生きていけるので、誰も死んではならぬ— オーノサエ🎷 (@biiibibi3jpn) 2017年12月8日
と思うのは、わたしも昨日、いいねを飛ばしてくる方に救われたから。それから、香取慎吾さんの「死んじゃダメだよ」というツイートや、大森靖子さんの「やり過ごすだけで何か変わるかも」というツイートのことを思い返したりしたりしたから。音楽とか、動物の動画とか、絵とか、言葉とか、笑いとか、誰かからのいいねとかのおかげで、別に世界がひっくり返る大逆転劇が起こるわけじゃないけど、「今すぐ死んでやる!!!!」と思った時に、そういうもののおかげで「あと少しだけ生きてもいいかな」にひっくり返るのだから、そりゃ価値あるだろ— オーノサエ🎷 (@biiibibi3jpn) 2017年12月8日
死んじゃダメだよ.テキトーでいいんだよ— 香取慎吾 (@ktrsngofficial) 2017年11月23日
おはよ— 大森靖子🌏 (@oomoriseiko) 2017年12月7日
やり過ごすだけでもなんか変わるかも〜がんばろう
やり過ごすだけでいい、解決しなくても。なんとかなるかもしれない。だから死んじゃだめだって。言葉を目にしたすぐそのタイミングで救われるとは限らないけど、それが心に留まっていると、本当にダメだって思った時に思い出せたりして、救われることもあるんだって、そんなことを思いました。
ツイッターの通知欄にぴょこりと青い数字のバッジが見えると、マイナスになっている気持ちに、少しだけプラスの気持ちが加算される。お菓子を食べてもご飯にはならないのと同じで、ちいさなものを取り入れたからといって、それひとつだけで人生が劇的に変わるとは言い切れないのだけど、少しだけ上向きになる、そういう効能はもう少し認められていいんじゃないか。
「いいね乞食」とか「インスタべーション」とか、いいねが欲しいのは承認欲求丸出しで格好悪いことだ、というような空気ちょっとあるけど、たとえ格好悪くても、その人にとってプラスになるならいいじゃないかべつに。だいたいTwitterにしろInstagramにしろ、いいねが集まる投稿をする人ってそれだけですげーよ。
そもそも死にたいと思うのが、視野が狭くなった状態で考えていることだから、それを脱すれば意外となんとかなるかもしれないし、逃げ道もあるかもしれない。というのは私が言いだしたことじゃなくて、案外そういうことを言っている人がいるからで、それがなんだか腑に落ちたりしたのが昨日でした。
「何歳まで生きますか?」phaさんに聞く【前編】
やっぱり切羽詰まると視野が狭くなって、いろんなものが見えなくなってしまう。「見えないだけで、他の道はいっぱいあるだろう」って思うんですよね。だから、「会社がすごいしんどくて死んでしまった」みたいな話を聞くと、「もったいないなあ」と思いますね。会社なんて別に辞めたっていいし、会社にいきなり行かなくなって「無責任だ!」って言われても、別に死ぬよりはマシだし。衝動的に死にたいときにこんな考えができるかというと、ちょっと難しいんだけど、死ぬよりマシっていうところまで連れ戻してこれば、あとは現実的に、それぞれ対処できるんじゃないかって思う。
「死んだほうがマシ」が「死ぬよりかマシ」になるくらいがベターだな— オーノサエ🎷 (@biiibibi3jpn) 2017年12月8日
お前の死にたいなんてたいしたことないんだろ、大したことないからすぐ「やっぱり死なない」って考え直せるんだろ、とか、仮に言われても反論できないけど、死にたい気持ちの大小ってそんなに大事なんでしょうか。
いろはす天然水とエビアンの中身はそれぞれ違うけどどっちも水だし、究極わたしが飲んでる水道水にレモン汁入れたやつだって水だし、そういうもんじゃだめなんですかね。
死んじゃだめだってもっと言ってよ、誰にも死にたいって言えない人の頭の中では死ねばいいじゃんって言葉が反響しているんだから、その反響を止める手段が、誰かの言葉だったり創作だったりするわけで、だから創作は素晴らしいし作家さんはどんどん作品を世に送り出してほしいし、みんな声を大にして死んじゃだめだって言ってほしいです。